甲冑・刀剣の歴史考証を主体とする日本でも他にない武具美術館を経営すると同時に、近年の甲冑武具界では類をみない旺盛な執筆活動を展開されている京都井伊美術館館長井伊達夫氏が、このたび直木賞作家津本
陽氏と共著で標記の書を上梓された。小生にとっては、本誌一五八号(平成十九年八月発行)の同氏編『井伊達夫 蒐古展覧歴程集』に続く新刊書紹介となる。まことにご同慶の至りである。
さて本書は、数多くの歴史小説をものされている津本 陽氏と、井伊達夫氏による〈対談〉と、井伊達夫氏の〈コラム〉を組み合わせた形で構成されている。「あとがき」によると、両氏の出会いは二十年ほど前に井伊氏が著書『井伊軍志』を津本氏に贈られたのに始まり、近年、津本氏が同書をベースに井伊直政を取り上げた『獅子の系譜』(文芸春秋社刊)を刊行され、それが本書の出版にもつながったという。
〈対談〉は戦国武将や幕末の志士、剣豪たちの月旦評、著名な合戦や事件の本質、更には刀剣・甲冑に関する話などが中心になっている。また両氏共に剣道・居合道を修練した一家言の持ち主であり、特に井伊氏は誓約書交しの実戦的試合をやって来た人だけに戦場における実際の有様や、昨今のテレビ・映画に見受けられる、時代考証の貧弱さなどにも話題が及ぶ。
ただし、予め設定されたテーマに基づいた型通りの対談集と思って読み始めると面食らう。一応三十六のテーマで区切られてはいるが、恐らく編集の際に行われたものであろう。とにかく、ご両人の広範な分野に及ぶ博覧強記には驚かされる。例えば、古刀と新刀の切れ味の話から、三島由紀夫の刀に進み、更には三島文学に及ぶといった具合で、サブタイトルにあるようにまさに縦横無尽、自由闊達、台本なしに進行する。
もとより、ここで個々の内容まで紹介する紙幅の余裕はないので、
印象に残ったテーマとして、「坂本龍馬暗殺状況の真実」、「江戸前期の幕閣〜戦乱の終息を迎えて〜」、「達人の系譜」、「捕鯨と刃刺し」、「維新を駆け抜けた男たち」、「本能寺の変の謎」を挙げておく。ことに「本能寺の変の謎」は濃い余韻を残す。
一方、〈コラム〉は井伊氏のみによる著述で、三十二編が収録されている。対談の中身を補足する形をとるが、対談に比べると一歩踏み込んだ専門性も併せ持った内容である。井伊氏が津本氏とは別の日に編集子と対談され、井伊氏はこれもそのまま対談の形式での掲載を考えられていた様だが、本屋さんの都合でこうした形になったという。たしかに専門的なコラムの部分が多く一般素人には聊か窮屈な感じがしないでもない。本対談を補足する別扱いの対談がコーナー分けにして附載されると、冗長にならずそれはそれでさらに面白かったかとも思われる。
〈コラム〉では、井伊直孝や宇津木静区など彦根藩主や家臣に関する評伝・逸話も興味深いが、ここでは「軍学書や史伝書の評価について」を挙げておこう。歴史研究者にみられる古文書や記録・日記などいわゆる一等史料の偏重に対して、『甲陽軍鑑』と『常山紀談』を例に、軍学書や後の編纂物などにも貴重な内容が埋まっているものがあって、一等史料でないからといってむやみに切り捨てるべきではないという主張である。無論、その活用には当該書の適切な史料批判が必要になるが、近世前期以前の一等史料となると極めて乏しい甲冑武具分野の研究者にとっても、身近な問題として傾聴に値しよう。
なお、本書には対談に出てくる人名や用語について、二百六十件(写真資料を含む)を超える脚注が付けられている。対談の理解を助けるのは勿論であるが、ミニ人名辞典・歴史用語辞典としても使用できて有益である。
肩の凝らない好書として、ぜひ一読をお薦めしたい。
[新刊書紹介] 津本陽×井伊達夫
『史眼』-縦横無尽対談集―
宮崎隆旨(元・奈良県立美術館館長)