井伊達夫氏所蔵井伊家文書随想

   

                                 彦根市教育委員会市史編さん室(当時)
                                 彦根城博物館館長(現)          

                                   井伊 岳夫

平成六年(一九九四)から『新修彦根市史』の編纂が始まった。この市史は頭に「新修」の文字が置かれていることで示されているように、昭和三十五年(一九六〇)から昭和三十九年(一九六四)にかけて三分冊で刊行された『彦根市史』のあとを受けたものだ。
 新たに市史を編纂するには、新たな視点もさることながら、新たな史料、新たな史実を発見することが必要である。そのため、編纂方針では史料の悉皆調査を基本に据えた。史料収集の調査は彦根市内を中心に、市外他府県の史料所蔵者・所蔵施設にも及んだ。
 井伊達夫氏は、若かりし頃からご自身の出身地である彦根の歴史研究を精力的に進められ著書も多数に及び、また彦根藩に関する古文書も広く収集し数多くお持ちであった。ご所蔵の古文書は、市史編さん室の調査以前に彦根城博物館が既に調査を行っていた。
 しかし、彦根城博物館が調査した史料はご所蔵の古文書の一部ということであったので、より良い市史を作成するために、さらなる調査をさせていただくようご自宅にお願いに伺った。平成十一年(一九九九)に初めてお会いしたとき、井伊達夫氏が書斎の奥に座っておられた姿が印象に残っている。ただ座っておられるだけなのだが、迫力がある。昔の武将はこのようだったかとそのとき思ったが、のちに剣の腕前も相当なものと伺い、あの迫力もそのためであったかと思い返した。周りには氏を取り囲むように使い込まれた書籍類がうずたかく積まれてあり、歴史や武器・武具に関して研鑚の日々を過ごされた様子を垣間見た。文武両道の氏の書斎は、まさに現在の「本」陣である。調査の件以外にも色々とお話を伺ったが、歴史や武器・武具についてのご造詣の深さはいうまでもなく、示唆に富むご指摘が随所にみられた。また、さりげない話にも発想や着眼点などにキラリと光るセンスがちりばめられ、聞く者を飽きさせない。それでいて、心地よい話にありがちな軽さはなく、言葉に重みがあり、一言一言に無駄がない話しぶりであった。
 幸い井伊達夫氏のご高配により、新修彦根市史への史料利用をご快諾いただけた。調査させていただいた史料は、『新修彦根市史』第六巻(史料編 近世一)、同第七巻(史料編 近世二)、同第八巻(史料編 近代一)に多く掲載させていただいた。
 惜しむらくは、本の体裁上の制約(上限約一〇〇〇頁)があり、泣く泣く掲載を見合さざるをえない史料が多く出たことである。制限頁内になんとか収めるために、史料選択には編集担当の先生方も事務局も四苦八苦した。
 現在、井伊達夫氏の古文書が、そのごく一部とはいえ活字となり、彦根市民だけでなく全国の歴史研究者や歴史愛好家、あるいは彦根に興味のある方々が誰でも読める形にできたことは、大変意義深いことであろう。聞くところによれば、井伊家関係の文書資料は、後日彦根市史の改編などがあることを信じ、甲冑類と共に四〇年もの間、ひとかたならぬご苦労をして採集研究されたという。そのような史料を、快く利用させていただいた井伊達夫氏に改めて感謝したい。
 井伊達夫氏収集のまとまった史料により、大名家臣の家の組織について分析することが可能となる。まだ十分な分析を新たな市史では行っていないが、全国的に見ても大名家臣の家政に関する研究は十分でなく、その成果が期待される。
 このように、同氏所蔵文書は、彦根藩井伊家だけでなく、その家臣の分析にも豊富な素材を提供してくれる貴重な史料である。幕末の「諸公用留」「極秘探索日記」など、まだまだ紹介しなければならない重要史料は数多く残っているが、紙幅の都合もあるので割愛させていただくことをお許し願いたい。

 最後になったが、井伊達夫氏は、平成十七年(二〇〇五)七月に旧与板藩井伊家の名跡を継がれ、中村達夫氏改め井伊達夫氏となられた。小生の名が岳夫だから、井伊達夫氏とは漢字でも仮名の音でも一字違いで、なんだか親子兄弟と間違われそうである。しかし、かくいう小生も、旧姓は羽中田(はなかた)といい、彦根市市史編さん室に職を得た後、平成十二年に現在の妻と結婚し、彦根井伊家の養子となって「井伊」を名乗るようになった。だから、初めて史料調査で井伊達夫氏とお会いしたときは、お互い「中村」と「羽中田」と名乗っていたわけである。そのときは現在のようにお互いに「井伊」を名乗り井伊直政を祖とする血筋の家をそれぞれ継ぐようになるとは思いもよらず、人生はわからないものだと何とも不思議な感じがする次第である。

井伊家・彦根藩に関する歴史研究、武器・武具研究では多大のご業績をつまれ、既に右に出るものなしといった感があるが、これからは、「井伊」を名乗ることでさらに注目されることになろう。これからもバイタリティあふれる仕事を続けていただき、井伊家や彦根藩の研究をより一層深め、今度は「井伊達夫」の名を歴史に刻み付けていただけるよう、末筆ながらお祈り申し上げたい。

                                          (『歴程集』 平成18年刊 より抄録)

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