井伊(旧姓中村)達夫氏よりその著書『井伊軍志』という大冊をご恵贈いただいたのは、平成元年のことで、十八年前になる。
井伊直政の生涯について、その実態をあきらかにするために、多数の資料により、独得の迫力に満ちた史伝がまとめあげられた。
私はかねてから、家康の臣僚のうちでもっとも勇猛果敢であった直政が、幼少の頃から敵に命を狙われ、危難を逃れるため諸方に流転した、特異な経歴の持主で、その間に彼の勁烈(けいれつ)な性格がつちかわれたのであろうと推測していた。
その事情を、井伊氏が本書で実に詳細に指摘されているので、たいへん興味ふかく読んだ。
家康麾下の武将として異例の抜擢をうけ、野戦に際しては恐怖を知らない軍神のような奮闘をつづけ、徳川軍団の中核となるまでの事情が、本書によってあきらかにされた。
武田家旧家臣団の精鋭を用い、破竹のいきおいで戦功をかさね、出世街道をまっしぐらにつき進む直政には、二つの顔がある。ひとつはきわめて思慮深く、家康を感心させるほどの将器としての、スケールの大きさである。
いまひとつは、気にさわった部下をたちまち手討ちにする、血に狂ったようなふるまいである。
子息直孝の母の存在が邪魔になると消してしまう冷酷さは、浮沈のはげしかった不幸な少年期に、身についたものか。
関ヶ原合戦では女婿松平忠吉とともに、伊勢街道へ逃走する島津維新を追い、伏兵に鉄砲で撃たれ、その疵がもとではやばやと世を去った。
本書には、直政のさまざまの陰影をえがきつつ、たぐいまれな資質の武将の生涯が、大きな像をむすぶまで書きこまれた。傑作である。
【津本陽氏著 『獅子の系譜』(文藝春秋社刊) 前書きより】
平成19年10月