平成25年度長期特別展予告
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戦国往来物語
                     
              変わり兜をみる場合の注意

                       
 このたびの特別展では変わり兜を具した具足を出展しています。この変わり兜、近年問題の多いものが少なくありませんので、それにつき一般的な注意を申し上げたいと思います。
 「変わり兜」は外国、特に欧米に数多くのコレクターやファンを獲、彼等によって再評価されるようになった結果、明治以来本歌でないものが数多く創出されてきました。近年は特に偽物がさかんに造られ、横行しています。その傾向は変わり兜のみならず、面頬(特に総面)、そして鉄の打出胴や、仁王胴といったいわゆる変わり具足の部品に迄及んでいます。
 明治から昭和前期位のものは、それなりに落ち着いた時代がついていますから、困ったことに現今、一般の鑑定家や博物館の学芸員には鑑別がつかないようです。展覧会等に出品され図録に載ったり専門の図書等に紹介されて、一人前の古作とみなされていることがしばしばです。
 更に問題なのは近年の偽物です。サザエや鯱といったものを鉄で打出した兜(鉄製だ、上手に造っているからといって油断は禁物、そこが偽作者及び媒介者のつけめです)、古鉢にパテで盛り上げ張懸物の如く装った一之谷や頭巾兜、熊や猪の頭に扇等奇態な飾り物をつけた兜。これらは土台に古い兜鉢やシコロを用いて、浮張も古いものを剥がして念を入れ再利用していますから曲者です。   
 古作を修補したものと偽作はちがいます。とても精巧にできていて、欺かれている蒐集家も二、三ではないように見受けられます。こういうものが戦国の甲冑として歴史ファンの本などに少なからず掲載されています。これらの図書には専門家を自他共に称する人が解説をしたりしていますから、今後誤解や被害はふえてゆくことでしょう。ある種鑑定機関の発行する認定書も鑑定を誤っていることがあり、残念です。とも角、余り奇想天外のもの、珍奇なものはイケナイとみてもらって正解です。打出、象嵌物も同然と思った方が安全です。前述の仁王胴等は殆ど駄目な現代作です。甲冑歴史ファンはこの点によく留意されて、自身の直勘と鑑定眼を養い、「おのれの目」をもつよう心懸けて下さい。当時の武士の気質と歴史を正しく勉強すれば、士風はおのづから見えてきます。つまり鎧や兜の本来的な姿形がわかるようになるのです。変わり兜といっても、本道を往った侍の気質の埒から外れたものはありません。



                 
                  開催の言葉


 戦国乱世は中世が終焉して新しい時代の幕明けを迎えるための、生みの苦しみの時代といえます。形骸化した名跡だけの「室町幕府の時代」という閉塞を打ち破るには大きな破壊のエネルギーをもった、自然行為的な、無惨の夥しい血が必要でした。残酷無惨の無常に常住し、そこから跳躍することによって人々はおのれの「個」なるものの自覚にめざめていったのです。つまり、中世的骨化が進んでしまった社会を厭って変革をめざしたのは、「個の生き方」を選んだ近世のくにた(、、、)み(、)(国民)であったということになります。勿論当時の彼等にとって後世の年表的時代的区分はさして意味のないことですが…。
 そんな士民たちの思潮の大きな流れに乗ってあらわれるのが、北条早雲や斉藤道三、そして信長、秀吉といった梟雄、英雄たちです。このような大変革の空気が全てのものを新しく変えてゆきました。日本史上最も雄大な人間革命の時代であったわけです。
 それが甲冑武具の形式の上にも明確な変容をもたらしました。故実形式を重んじた大鎧や胴丸、腹巻といった前時代の遺物的甲冑は鉄砲が参入した新時代の戦争には適応できなくなりました。
その結果、一部高級武将達のためのいわば儀礼的式服として存在だけは遺されたものの、その主役の座は軽便合理的な「具足」というものに譲らざるを得なくなったのです。
具足―ふつうはそう呼ばれますが、正しくは「当世具足」と名称します。「まさに用うべき現代のヨロイ」というような意味です。その一具として最も重要視される兜には、いろいろな意匠が用いられるようになりました。
 従来の大鎧や胴丸等に附属した兜は、あく迄円形の兜鉢に首頚部を防禦するシコロが附属した比較的単純な姿形でした。兜鉢の矧板の止め鋲である星を装飾化した星兜か、星鋲を潰した筋兜が基本で、装飾物も鍬形や魅(しかみ)といったシンプルな単一形のものにとどまっていました。
ところが、戦国時代に入ると、兜の常識は大きく変りました。極端にいえば、あく迄極論ですが、従来型の星兜・筋兜はすたれて、いろいろな形態をしたいわゆる変わり兜がたくさん生まれて来たのです。その意匠は自然界の動植物から日常の器物、はては神仏をあしらったもの迄極めて多岐多様にわたります。
 これは「個」の自覚とその自覚において生死(しょうじ)に目覚めた侍たちが、おのれを自他共に認証させるため、最後の象徴として育んだもの、いわばいのちをかけた商標登録だったのです。これほどわかりやすい自己顕示と存在証明はないでしょう。
 さて、さまざまなる意匠に富んだ奇想の兜を数多く生んだ「戦国」という時代は、凄惨の血の臭いや、陰惨な痕跡が歳月によって消されると、平和人の都合のいい誤解によって豪快と奔放なカッコいい「おとこの時代」と認識されるようになりました。たしかに江戸時代という再びの固定化時代を迎えると、変わり兜は甲冑の世界から姿を消してしまうのですから、たしかにあの時代は実に思い切りのよい、男ぶりのよい武士(もののふ)が、思うざまに天下を往来した時代だったともいえます。
 私は兼々彼らを「凄い奴等」だと思って来、また語ってきました。その生を大事に、死を大事に、一日を今生とした死生一如の気概、この熱い激しい息吹を少しでも皆さんに窺ってもらえたらと思います。「戦国展」はこれ迄の来館者に最も人気のある催しで、今回はそういった戦国ファンにお応えするリクエスト企画展でもあります。お楽しみ下さい。

                              平成25年1月吉日
                                          井伊美術館々主 
                                          井伊 達夫
朱漆塗紅糸威二枚胴具足
-前田利太所用-

利太(としたか)は通称慶次、慶次郎。利太の出生、没年、没地については諸説あるが、父は滝川一益、あるいは益氏と言われ、前田利家の兄利久の養子となり、同じく利家の兄安勝の娘を室とし、一時前田利家に仕えた。後、前田家を出奔するに及び、上杉景勝の臣直江兼続と交流を持ち、米沢へ赴いた。
泉鏡花旧蔵。

井伊美術館寄託品
リクエスト特集展
「凄い奴ら」のいでたち
期間 平成25年2月1日〜11月15日
紺糸威胸取仏胴具足
-堀秀政所用-
(平成22年飯田市美術博物館出展)
井伊美術館寄託品
歴史、甲冑ファンにとって最も人気のあるのは「戦国」です。
来季は開館15周年。
皆様のリクエストにお答えして戦国特集を企画しました。
千鳥図蒔絵仏胴具足
-阿部正次所用-
(平成20年大阪城天守閣出展)
井伊美術館寄託品
熏韋威胸取胴具足
-菊勝介所用-
(平成16年岸和田市立郷土資料館出展)
井伊美術館寄託品
明智光秀自筆書状

もと徳川家康の直臣であった木俣清三郎守勝は一時光秀の幕下にあり、片岡城や神吉の城攻め等で数々の殊功を樹てた。木俣は天正九年、家康のもとへ帰参するが、その直後の光秀の手紙である。文中高天神落城のことや家康を呼び捨てにしている等、当時の状況や光秀の威勢が手にとるようにわかって面白い。
                                井伊家蔵
紅糸威本小札二枚胴具足 -明智光秀所用-


「明智光秀」(PHP文庫)のカバーイラスト等に使用された幻の名甲。寄託出品されれば「戦国の五十人」展(大阪城天守閣)以来19年ぶりの展観となります。                井伊美術館寄託品
本多忠政自筆書状

忠政が老臣松下河内(徳川家康より本多忠勝への附家老)へ宛てたもの。「向陽古今図録」所収。